片付けをきっかけに出会った「ニューロダイバーシティ」
ニューロダイバーシティという言葉を聞いたことがありますか?
私自身も耳にするようになったのはここ数年のことです。
昨年12月に出版された『ニューロダイバーシティの教科書』という本を読んだことがきっかけで、まだまだ勉強中ですが色々と腑に落ちてスッキリしたことがありましたので今日はその話を書きます。
ニューロダイバーシティの教科書: 多様性尊重社会へのキーワード
ニューロダイバーシティとは、ただ日本語にすると「脳や神経の多様性」という意味となります(後ほどもう少し具体的に書きます)。
私が元々この言葉を聞くきっかけとなったのは、片付けが関係しています。
片付けの現場は「全裸で接していることに近い感覚」と表現されるお客様がいるように、その人の持ち物や物の扱い方、ゴミや汚れなど嗜好から日々の生活までありとあらゆるモノゴトを拝見します。それは普段よそ行きの顔で他人と接しているのとは違う次元での関わりです。
これまで数百人の方の片づけをしてきた中で、
- 人のできる/できないの違い
- こだわりの強弱
- こだわりの質
- 物に人の思いや感情が反映される人とそうではない人
- やると約束した後にやる人と、やらない人
など、様々な「違い」を感じてきました。
片付け作業を依頼してくださる方の中には発達障がいや精神疾患をお持ちで通院している方もいらっしゃいますが、普通に働き、生活をしている人の「違い」にもかなりの幅があります。
私の仕事はその人が生きやすい環境を整えることなので、たとえ必ず片付く方法だとしても「物を捨ててください」、「定位置はここに決めればいいです」、「使ったら片付けてください」という内容だけで作業を終わらせるわけにはいきません。世の中にはたくさんの物に囲まれながら、片づいた生活をしたい人も多くいるのです。
また、「やらないのは、その人が本気じゃないからだ」とか、「やる気を出せばだれでも片付けることができる」という次元の話ではないことも知っています。
やりやすさやこだわりの差はどこから生まれるのか、どのように対策したらいいのかなどについてこれまでも調べたり、勉強したりしてきましたが、その中でこの「ニューロダイバーシティ」という言葉に出会いました。
今の世の中だと、
片付けられる =大多数= 当たり前、いいこと
(片づけられる人から見て)
片付けられない =少数= おかしい、悪い、努力して片付けられるようになった方がいい
という認識が強いのではないかと思います。 以前は私も自分はなぜこんなにも片付けが苦手なんだろうかと、ずっと罪悪感や劣等感を感じていました。
そのため、片付けが苦手な人は本や雑誌やSNSで片付けの情報を探して片付けようとするわけですが、なかなかうまくいきません。それがなぜかというと、多くの本は「片付けが得意な人」や「そこそこ片付けができる人」がうまくいった方法が書かれているからで、その中に読み手の「多様性」を織り込むのは難しいからです。
ニューロダイバーシティとは?
ウィキペディアによると、
教育や障害に対するアプローチであり、様々な神経疾患は普通のヒトゲノムの差異の結果として現れるのだ、ということを提唱する。
この神経学的(ニューロロジカル)と多様性(ダイバーシティ)の鞄語は、1990年代後半に、神経学的多様性は本質的に病的なものであるとする通説に対抗するものとして現れた。
ニューロ・ダイバーシティは、神経学的差異は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害と同様に、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきであると主張する。神経多様性あるいは脳の多様性とも訳される。
となっています。
太字にしたように「神経学的差異」つまり、「脳や神経に由来する個人差」は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害と同様に、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきである、という話が今のところ主流なのかなと思います。
この説明にジェンダー、性的指向という表現があったので例をあげると…
- 日本の診断名:「性同一性障害」
- アメリカ『DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル)』2013年~:「性別違和(せいべついわ、英:Gender Dysphoria, GD)」
- WHO『ICD-11』2019年~:「性別不合(Gender Incongruence)」
という「障害(disorder)」ではない診断名に変わっています。
詳しい内容は本筋から脱線するので割愛しますが、 身体的な性別と心の性別が一致しなくてもそれは障害ではく、多様なセクシュアリティの一つであり、個々が尊重されるべき(人権尊重)という考え方が、疾病分類の変更を促したということです。「障害」になるかどうかは、社会の在り方と関連していると思っています。
話を戻してニューロダイバーシティですが、この言葉はこれまで「障害」に関係する文脈で使われることが主流でしたが、これからの時代はもっと広く浸透していく概念なのではないかと感じるのです。
最近出版された『ニューロダイバーシティの教科書』にも、ニューロダイバーシティは、
「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」というような考え方を含む言葉
と紹介されています。
素人の私がニューロダイバーシティを語ってここで誤解を生むと困るので、ぜひ詳しいことはこちらの本をご覧いただけたらと思います。でも、この視点を持つことでもっと楽に生きられる社会につながるのではないかと感じることがありました。
この本では、ニューロダイバーシティとはどういうことなのかを私たちが想像しやすい例を交えながら、とても分かりやすく解説してあります。
片づけと脳の話
私が片付けられるようになりたいと受講し、その後今は講師として活動しているライフオーガナイザー®のテキストにはライフオーガナイザーの基本理念として、
This is my way.
What is your way?
THE WAY does not exist.
という、ニーチェの言葉を英訳したものが紹介されています。
意訳すると、
これは私の道。
あなたの道は?
唯一の正しい道はない。
というような感じで、やり方や、価値観などを踏まえたのが「道」です。
資格取得当初は、「ひとそれぞれ、違うよね。それ、当たり前。」という感じの浅はかな理解だったのですが、自分が沢山の方の片づけを手伝う中で、その違いの奥深さに圧倒されていました。
ライフオーガナイザー®はアメリカのプロフェッショナルオーガナイザーという職業の日本版です。
そのプロフェッショナルオーガナイザーの団体から派生した、慢性的に片づけられない方の支援・研究を目的とする団体であるICD(Institute for Challenging Disorganization) では、脳の違いに重点を置いて片付け方法の研究をしています。今はこの団体でも勉強をしているのですが、これまでお客様の言動からしか考えられなかったものごとの背景にある脳の働きを知ることで理解・納得できることが増えています。
一言に片付けが苦手と言っても、片付けの1つ1つのステップのどの過程がうまくできないのか、そしてその背景にあるのが何かによって対策も異なります。
- 物の認識、分類が苦手なのか
- 手放すことが苦手なのか
- 計画が苦手なのか
- 実行が苦手なのか
- ルーティン化が苦手なのか
- 見通すことが苦手なのか
これはその人の脳の特性が関係しています。
日本のライフオーガナイザーの講座では、もう少しカジュアルにそれぞれの違いを実感してもらうために「利き脳」という京都大学心理学の名誉教授でおられた故・坂野教授の理論を切り口として紹介しています。
これは右脳・左脳という利き脳が脳科学的にエビデンスがあるのかという話がポイントではなく、「片付け方」とか「収納方法」1つとっても、一般的に言われているキチっとした方法が唯一の正解ではなく、タイプ分類することからそれぞれのやり方の違いを体験してもらい、自分に合った方法やそれが人と違うということを考えるきっかけにしてもらえるのがポイントです。
そう、片付け方1つとっても難しさ、やりやすさは人それぞれ異なるのです。
片付けが苦手な人も、なぜ苦手なのか、どこでつまづいているのかはみな違うのです。
そしてそれは、怠けているとかやる気がないとかそういった類の話ではないのです。
片付け作業をしていて感じることと脳の話
私たちは、片付ける際にお客様の価値観や感情を大切にしながら作業を進めます。人によって、何を大切にしたいか、どう暮らしたいのか、片付けに時間を掛けたいのか、物を持ち続ける目的は何なのか…?様々なことを聴きながら、どんな風に片付けるか考え、本人に確認していきます。
その話の内容や、作業中の行動を見ながら
- 人のできる/できないの違い
- こだわりの強弱
- こだわりの質
- 物に人の思いや感情が反映される人とそうではない人
- やると約束した後にやる人と、やらない人
- 片付けたいのに、片付けられない人
など、様々な「違い」を感じ、経験し、時にはそこに膠着してしまいうまく作業が進まずお互い苦い思いをしたりしてきました。
そんな私の視界が開けたのが、この視点です。
脳や神経の特異性が人の感覚や経験に与える影響を考えるときに、それの違いがその人の意識に上る思考や感情の裏側にある背景システムとして働いているという視点が大切になってきます。
そのことをもう少し具体的に言うと、ものの見え方、聞こえ方、意欲の感じ方や、注意のコントロールの仕方など、人がものを考えたり感情を感じたりする前段階に起こる情報処理の基本メカニズムともいえるようなレベルの違いたちに目を向け、理解しようとすることです。
人の主観的な意識や体験の裏側にあるその人によって「あたりまえの仕組み」が、その人の思考や感情の在り方、もっと言うとその人の価値観や感性と呼ばれるような側面に大きな影響を与えていことは疑いようがありません。ただし、本人にとってはそれはあまりにも当たり前のことなので、なかなか自覚しにくいことでもあります。
片付けられない人は、片付ける意欲がないと思われ続けています。なんで散らかっているのが見えないのか?嫌じゃないのか?と聞かれたりします。
使ったものを出しっぱなしにして、さらにどこに置いたかわからなくなったりします。
それをどうにか片付けさせようとしている人たちは、
- 片付けるモチベーションをどうやってアップさせるか?、
- どうやったら散らかっている現実を見つめられるのか?
- 使ったらすぐしまって、どこに置いたか忘れなくなるのか?
それをできることが当たり前と考え、力づくで行動を矯正させるような方法ばかり考えていたのではないか?とこの本を読んで改めて感じたのです。
脳の違いがその人の思考や感情の在り方、価値観や感性に影響を与えているとなると、「片付けられない結果に対する見方」が変わります。
「脳レベルで違うんだったら、しょうがない」
先ほど少し書いた「利き脳」について、脳科学的なエビデンスはありません。でも、おおざっぱではありますが「論理的に細かい分類」が得意な人と、「感情的やざっくりとした分類」が得意な人がいるわけです。
憧れとか、見た目の好きとは別次元で「楽にできる方法」があり、これが脳の違いによるのだと思います。
これまで何人もの「利き脳片づけ収納術®」のセミナーの参加者さんから
「これまで家族が片付けられないのが悩み、イライラの原因だったけれど、脳レベルで違うと考えると許せるようになりました」
という感想をいただきます。片付けができないことや、やり方が違うことが性格や怠けからくるのではないことに対する理解が深まると、家族が片付けられないということに悩んだりイライラしたりただ我慢することから、妥協だったり、違う方法を考えようという前向きな発想につながります。
こういった学びと理解が、スケールが大きく聞こえるかもしれませんが
「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」
につながっていくのではないかと感じるのです。
参考・引用文献:
- 村中直人(2020).『ニューロダイバーシティの教科書』.金子書房
- ウィキペディア 「ニューロダイバーシティ」
- 一般社団法人日本ライフオーガナイザー協会(2019 ). 『ライフオーガナイザー®2級資格認定講座公式テキスト』.
- 高原真由美(2012). 『脳タイプで、お部屋も心も未来もスッキリ!利き脳片づけ術』. 小学館
団体公式ウェブサイト:
- 一般社団法人日本ライフオーガナイザー協会:https://jalo.jp/
- Institution for Challenging Disorganization:https://icdorg.memberclicks.net/
- 発達障がいサポーター's スクール:https://cysa.or.jp/saposuku/
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これまで知識がなくてなかなか言語化できていなかったモヤモヤしたことが、昨年末に出版された『ニューロダイバーシティの教科書』には明確に言語化されていて、頭の中の霧が晴れたような気持ちになりました。
日本では「多様性」という言葉は日に日に目にする機会が増えていますが、現実にはまだまだ本当の意味での理解が深まっていないと思います(もちろん私も含めてです)。
そんな中で、一緒に暮らしたり、一緒に働いているような身近な人の間で、さらに「片づけ」という身近な行動から「多様性」を見つめるきっかけが作れたらいいのになー、と思っています。
今回はかなり自己満足のアウトプットをする記事になってしまいましたが、片づけに悩んでいる、本を読んでもなかなかできない、どうしたらいいのかわからない、という方がいらっしゃいましたらぜひご連絡ください。オンライン対応が難しい北海道外の方には、このような内容に理解があるオーガナイザーのご紹介もさせていただきます。