
捨てる痛みは本当に必要なのか?
―行動科学・心理学・脳科学から考える―
家の中の物量を減らしたい、クローゼットをどうにかしたい、家族が片づけられるようにしたい——。
片づけたい、暮らしを楽にしたい。
そう願うのになかなか行動に移せないのは、片づけにおいてよく言われる
「一度、痛い思いをして捨てないと変わらない」
「もったいない思いをしないと、買い物グセは治らない」
「大量に捨てる痛みを経験した人ほど、物が増えない」
こういった「痛い経験」「辛い思い」をするから片づくんだ、変われるんだ、という考え方なのではないか、と思うのです。
「捨てる痛み」を調べてみると、
物を捨てる(手放す)際に生じる心理的・肉体的な不快感や負担 を指します。これは、思い出や愛着、決断疲れ、あるいは物理的な負担から生じますが、その痛みを乗り越えることで、空間が整理される、無駄遣いが減る、精神的な余裕が生まれる、といったメリットがありあます。
と言われています。
こうした考え方は、片づけの世界でもSNSでも広く流通しており、ある種「常識」のようになっています。
でも、暮らしを整えるために片づけのサポートをしている私は逆に、この考え方が片づけ着手のハードルを上げていると感じるのです。
加えて行動科学や心理学のデータを読みといてみると、この捨てる痛みのメリット訴求は正確ではないといえます。
確かに、一部の人は「痛い経験」がきっかけになり行動が変わることはあります。でも、痛みはあくまで短期的なブレーキであり、長期的な行動変容にはほとんど寄与しません。
むしろ、痛みに頼る方法はリバウンドや回避を招き、モノとの関係性を悪化させてしまうこともあります。
では、なぜ「痛みが必要」という言説が根強いのか?
そして本当は、どうすれば私たちは買い物のクセを修正して、物の量をコントロールし、散らからない暮らしを手に入れやすくなるのか?
今回は、心理学や行動科学の研究をもとに、「痛みベースの変化」がもたらす効果と限界、そしてより再現性の高い方法について掘り下げます。
1. 「痛み」で行動が変わるのか?
まず知っておきたい「強化」と「罰」の基本
私は大学で心理学を学んだのですが、専攻していたのは臨床ではなく実験心理学でした。
そして日々この条件づけを使って実験をしていたので、このトピックからスタートします。
心理学にはレスポンデント条件づけ・オペラント条件づけという、「ヒト(動物)がどう学ぶか」を説明する理論があります。
行動分析では、ヒトの行動は「強化(reinforcement)」と「弱化(punishment)」で説明されます。
ただし言葉から一般的にイメージされる「罰=悪いことに対して与える悪いこと」、「強化=いいことに対して与える褒めやご褒美」ではありません。ここでは「行動が増えるか、減るか」で分類しています。
▶強化(行動を増やす)
正の強化(Positive Reinforcement)
快刺激が加わることで行動が増える
例:片づけたら部屋が気持ちいい → また片づける負の強化(Negative Reinforcement)
不快刺激が取り除かれて行動が増える
例:散らかっていると探しものが多くて焦る、遅刻する → 片づけたら不安が減り、遅刻しない → また片づける
▶罰(行動を減らす)
正の罰(Positive Punishment)
不快刺激が加わることで行動が減る
例:捨てる痛みを味わう → 物を買うことに躊躇したり、買わなくなる(から、散らからなくなった)負の罰(Negative Punishment)
快が奪われて行動が減る
例:無駄遣いをしすぎて推し活費用がなくなった→やたらめったら物を買わなくなる(から、散らからなくなった)
ここで大事なのは、
「強化/罰」は刺激の快・不快ではなく、結果として行動頻度がどう変わったかで決まるということです。
2. 「捨てる痛み」は強化?罰?どの分類になるのか?
多くの人が経験する「捨てる痛み」がどの分類になるかというと、主に 正の罰(不快刺激の付加) です。
高かった服を捨てる痛み
もったいないという罪悪感
大量のゴミ袋を前にしたショック
これらは不快刺激であり、一時的に買い物行動を減らす効果があると考えられます。
ただし、この効果は短期的であることがこれまでの研究からも分かっています。
一方で、捨てる推奨派の人が一定数いますが、多くの方が「捨てるとスッキリして満足/安心した」という感覚で、「捨てる痛み」を味わっているわけではありません。
この「捨ててスッキリ」は負の強化(不快の除去=片づけ行動増加) と考えられますが、この「スッキリして満足/安心」は、行動を長期的に持続させるには効果が弱すぎる特徴があります。
ここまでをまとめると、
痛み(罰)は行動を抑制できても、長期の習慣にはならない。
安堵(負の強化)は弱すぎて習慣化しない。
ということがわかります。
3.ではなぜ、捨てる痛みの効果が常識のように語られるのか?
一方で、「痛みが変化を生む」という経験則にも一定の科学的根拠があります。
行動経済学で非常に有名な「損失回避(Loss Aversion)」の法則。
これはノーベル経済学賞を受賞したカーネマンとトヴェルスキーが見つけたもので、
人は「得をする喜び」より、「損をする痛み」を約2倍強く感じる。
というものです。
だから、
- 高かった服を手放す時の痛み
- ほとんど着ていない服を処分する罪悪感
- 無駄遣いしたと気づくショック
こうした「損失の痛み」は確かに記憶に残り、短期的には次は気をつけようという抑止効果を持ちます。
ここまでは事実です。しかし、問題は次です。
4. 痛みに頼るアプローチが続かない理由
問題は、痛みに頼るアプローチは続かない、ということ。
①痛み(罰)ベースの行動は「回避動機」であり、持続しない
自己決定理論(Self-Determination Theory)で論じられていますが
回避動機は続かず、接近動機(得たい未来に向かうモチベーション)の方が圧倒的に続くとされています。
「捨てる時の痛みを味わいたくない」という感情は回避動機です。
あんな思いは嫌だ
ガッカリしたくない
無駄遣いに落ち込みたくない
この動機には落とし穴があって、それはストレスや疲れ、忙しさが高まると一気に消えてしまう、ということ。
私は他にも、痛みを忘れることも理由にあると思いますが、これが「リバウンド」の根本原因と考えられます。
②罰ベースの学習モデルには持続的効果がないことが証明されている
いまだにあらゆるところで「痛みによって成長する、改善する」と信じられていますが、この罰による学習は70年以上前から心理学では否定されています。
「痛み=罰(punishment)」で知られていることは、
行動を一時的に減らすことはできる (しかし長期的な学習(成長)には向かない、副作用が大きい、自主性や意欲は育たない)
この( )の部分が意識的/無意識的に軽視されていたからこそ、今の「痛みで成長する神話」があります。
日本はとくに
「苦労は買ってでもしろ」
「痛みを伴わない成長はない」
という「苦行モデル」が根強い社会です。
この文化的前提が、片づけにもそのまま持ち込まれています。
- 痛みを味わえば、二度と同じ失敗をしない
- 捨てるのがつらいほど、もう散らからない
- 無駄遣いに落ち込むから、買わなくなる
- 苦労したから価値観が変わる
しかしこれは科学的には誤りで、文化的な神話に過ぎません。さらに罰による学習は不安を高めるなどの悪影響も知られています。
③ 不快刺激に慣れる(habituation)
人間は同じ不快に晒され続けると、慣れてしまいます。
- 捨てる時の痛み、罪悪感に慣れる
諦めの境地になる
はじめのうちは、捨てる痛みが不要な物を購入することの抑止力を持ちますが、だんだんと罰の効き目は「慣れ」でどんどん弱くなります。
そのかわりに「安い物を買って、また捨てればいいや」、「捨てても結局生活できているから、別にそこまでの痛みではない」という都合のいい思考に置き換わっていきます。
④ ストレスが高いと逆に反動買いが起きる
痛みやストレスは脳の「扁桃体」という部位を刺激し、逆に快の追求(買い物、飲食など)が増えることも多くの研究で判明しています。
「捨てた痛みによって、逆に購買意欲が増してしまう」
というケースは珍しくありません。
特に元々の傾向が、
- 感情への耐性が低く、罪悪感で行動が止まりやすい
- ストレス買いをしやすい
- 罰を恐れるがゆえの過剰な回避(判断麻痺)
こういう方は、むしろ「捨てる痛み」を味わうことを避けた方がいいと思います。
⑤ 痛みは「どう変えていくのか」のスキルを教えない
「捨てる痛み」には「代わりにどうすればいいのか」という情報がありません。
片づけたり、暮らしを整えていく際に本当に必要なのは、
選び方
価値観
仕組み
判断基準
ですが、これらは捨てる痛みの経験だけでは身につきません。
だから、痛みは行動の停止には使えても、行動の上書きには使えないのです。
5. 捨てる痛みで変わらないなら、何が人を変えるのか?
行動科学の世界で再現性が高いとされる内容をふまえて、以下の3つが人を変えると考えています。
①正の強化(Positive Reinforcement)
「快」によって行動が増やす方法です。
片づいた空間の心地よさ
好きな服だけが並ぶクローゼット
無駄遣いが減り、お金が貯まる
“選べた”という自己効力感
脳の報酬系は快に強く反応するため、最も持続しやすいと考えられます。
ただ、片づけや暮らしの最適化で考えると、一瞬でこの「快」までたどり着けないため「目先の報酬」が好きな私たちとしてはその点が難しいところです!
②価値観ベースの選択(Value-based Choice)
研究では、自分の価値観に沿って選んだ行動は、意思に頼らず継続しやすいとされています。
あなたはどんな暮らしにしたいか
あなたはどんな服を着たいか
あなたは何を大切にしたいか
あなたは何を増やし、何を減らしたいか
この「基準」が整った上で何をするかを決めると、捨てる痛みは生じないと断言できます。
③ 環境調整(Choice Architecture)
ここでいう環境調整は、選択アーキテクチャともいわれる「人が何かを選ぶ時に、選択肢の提示方法や順序、数、などを選びやすいように設計することで、意思決定に影響を与える手法」をいいます。
行動科学の世界でも、私たちの経験則でも「人は環境に従う」が鉄則です。
例えば、散らかりの原因が物量が多い、物量が多い原因が買い物が多い、であれば
- 買い物アプリ削除
- クレカを財布に入れない
- カード番号を登録しない
- 定期購入、頒布会はやめる
- 仕事の帰りにデパ地下に寄らない
などの環境調整ができます。
家の中で何を自分が持っているかが把握できていないから買ってしまうなら、
見える収納
一軍置き場を作る
リスト化
などが考えられます。
環境が変われば、人は自然と変わることがあり、わざわざ捨てる痛みを味わうより効果が圧倒的に強いです。
5. まとめ:捨てる痛みをわざわざ味わう必要は、まったくない
行動科学・脳科学・心理学・行動経済学の研究から考えると、
- 捨てる痛み(罰)は短期的には行動を抑制できるが、長期的には慣れ・回避・反動で続かない
- 痛みは「どう変えるか」の方法論を教えてくれないので行動変容まではもっていけない
- 無駄なものを買わない、散らからなくする、暮らしを最適化する際に 人を変えるのは「価値観」「環境」「快(正の強化)」
つまり、痛みを味わう必要は全くない。むしろ痛みがない方が変われる。 本当に必要なのは「選び方を変えること」、と言えるのです。
そして何より大切なのは、
自分、暮らしを整えることは、苦行でも反省でも罰でもなく、
「自分にとって心地よい選択」を積み重ねていくプロセスである
ということです。
捨てる痛みを味わう必要はないのです。必要なのは、自分の内側から湧き出る自分が納得した選択、今の自分にとって心地よく、持続可能な選び方。
これこそが、モノとの関係も、買い物のクセも、暮らしの質も、静かに・確実に変えていく方法だと私は考えています。
捨てる痛み:おまけ。
中には「私には痛みが効きました、痛みのお陰で今があります」と言う方もいらっしゃると思います。
ので。
最後におまけです。
このコラムを書いた理由は、捨てる痛みが大好きな方々を否定するためではなく、「捨てる痛みを味わわないと物を減らせない、片づけられない」と思い込んでしまって、行動が止まってしまったり、片づけにネガティブな印象を持つ人が減ったらいいなと思っているからです。
これは科学的なエビデンスではありませんが、捨てる痛みが効く人もいることは経験的に感じているので最後に紹介しますね。
- 誰に言われるでもなく、自ら痛みを選びたいタイプの人
- ショック体験が動機付けになりやすい人
- 過去のあらゆる痛みをはっきり覚え続けている人
- そもそもの買い物頻度が低い人
- 価値観がすでに明確で、痛みが「最終的な気づき、選択肢」レベルまで到達している人
自己効力感(self-efficacy)が高いほど行動は続くと言われていますが、痛みを回避するための買い物抑制やその結果による散らかりにくさより、小さな仕組み変更、小さな片付け、小さな選び直し。
これらを味わいながら「自分でもできる!自分、がんばれ!」と信じて応援できることで、習慣が生まれると思うのです。
片づけや暮らしのアップデートは、痛みに頼らない方が持続可能で、心も暮らしも軽くなる。
価値観に基づいた選び方のアップデートこそが、買い物のクセも、物の量も、暮らしの質も変えていく最も穏やかで確実な道だと私は思っています。
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